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【山の自然学】

 

  自然環境保護、山の自然学、山は私にとって原点ですが、人の生活に取っても山は源です。地球の水循環は山により加速され、空気も山に影響されていますが、人の思考にも影響しています。自然を学ぶ窓口に山の自然学は有効です。環境カウンセラー(市民部門1997214005)の立場から、地球環境に関する技術を見て考えることも怠るわけにはいきません。15年前に作った2つの自然保護のクラブは今も活躍し成長しています。その一つの山の自然学クラブのホームページをご覧ください。写真で見る自然学から入ると、今までの活動が良くわかります。

  ます活動の一端をお見せし。

 

【 楽しかった夏の経験 】――インタープリター体験記―― 大森弘一郎

 

  

  「楽しかったニャー」。これが東京の炎暑を避けるように行った奥志賀と上高地での体験感想です。シャレーの子供たちからは綴り方が届きました。私もそれに答えて少し書かねばなりません。

 

   昨年、いつも行くシャレークリスチャニアに着くと早々に、和真君が出て来て、まず「僕もつれていッテー」と言い、ああ良いよと答えたのが始まりです。彼は今7才、一昨年は未だ関心も無く、無理だと思って他のお兄ちゃん達とだけ行動していたのですが、その時から仲間に入りました。

   奥志賀で待っていてくれる大切な仲間、私の小さい親友である四人は、シャレーの息子の崇行君(今中一)、杏介君、和真君、その従兄弟の千葉から来ている中野優太君、彼らは私の友人であり、助手であり、貴重な体験の先生なのです。

   それぞれ熱心であり、慎重であり、好奇心旺盛で、確実です。 「これ何かニャー」「不思議だニャー」「疲れたニャー」「楽しかったニャー」を連発する和真君は、ニャー坊とあだ名が出来。「おいニャー」と言うようになっています。

  杏介君は体が大きくて力持ち、しかし気配りがとても良くて親切、いつの間にか「ジャイアン」と呼ぶようになりました。ほかの2人にはあだ名が定着せず、崇行君はタカちゃん、優太君はユウタ。 夜のミニトークの時は必ず聞いてくれるので、参加人数がいつも四人は確実です。

 

  現地に行く時は、お客さんよりもこの助手と我々の人数の方が多い有様で、さながら遠足のようになります。この豆インタープリターは、大変に気配りが良く親切で、「タカチャン先に行って」と言うと先頭を正しい道で案内しながら歩き、ときどき振り返ってはお客さんのペースに配慮しています。

  また面白い所、植物や花や木や、それぞれの所で、かなり的確な解説をしてくれて、ちらっとこっちを見て大森先生これで良いですか(ニヤリ)、と言います。ここでは私は先生で、いちいち先生を取り消すのも、もう面倒くさくなって放っていたら、これに定着してしまいました。 お客さんに花の名前を聞かれると、まず豆インプリに聞きます。判らないと俺わかんないから図鑑を見ようと言います。「知っているくせにー」と言いながら彼らは図鑑を広げます。

 

  こうしてごまかしながら、大人には、自然の成り立ちやら、その意味の説明をするのです。 一番気にするのは、天気と安全の範囲。それ以外は自然の中を楽しく歩いて終わるというわけです。 思い出してもうまくやれた、という楽しい経験をいくつか述べたいと思います。

 

  (その1)田中さんと言うご一家、親子孫の三世代、七人です。山の無いシンガポール生まれのシンガポール育ちだから、日本の山を体験させて達成感を持たせてほしい、とのおじいちゃん、おばあちゃんの要請もあり考えます。

  初日は天候悪化の予測される空の様子で、東館山の植物園にしました。おじいおばあは後から頂上にケーブルで来ると言うことで、親子と我が軍団、一歳半の赤ちゃんをおんぶしたお母さん、シンちゃん、お父さん、お父さんと離れられないヨシノちゃん。

   リフトで途中まで上り、そこから登って植物園に入ると、タカちゃんの解説が始まります。私の出番が無いぐらい、そこでお昼の弁当の適地を探しに行きました。 寺子屋の方に少し行ったところにあるT型の登山道の交点に、風の通る良い芝生がありました。ここへ案内して昼食です。

 

  ここで隠し玉を出しました。 白いご飯をそのまま大きくラップに包んだ、子供の頭大のおにぎり、と手巻き海苔と焼き豚ときゅうり、それをハサミで切りながら並べると、手巻きずしの準備が出来ると言うわけです。これはいつも好評なのです。赤ちゃんが自分で干し果物を持って来て私にくれます、なんとかして親愛感を示したいみたい。幸い天気はもちました。

 

   東館のゲレンデを、道を無視して下ります。ゲレンデを昔は自然破壊の痕のように思った時もありますが、考えようによれば、日当たりが良くて、高山植物が多く、また虫を取ったり、花を調べたり、自由に踏んで分け入れる、また危険もない楽園でもあります。

  そこを真っ直ぐ下らせました。 子供の背丈より高いピンク色のヤナギランの中を子供が先頭になってかき分けながら下ります。子供に先頭をやらせるのがコツなのです。

  シンちゃんも分け入るコツを覚えて、がむしゃらに進みます。お父さんが転んだのを見て子供はますます元気。花の説明も忘れて、下まで勇ましく下山したのでした。 皆んな疲れて、その日はミニトークに誰も来てくれませんでした。

 

  (この日のメンバー:田中家の5人、関3兄弟、中野優太、国木田之彦、川村尚吾、大森)

 

   (その2)今度はもう少し遠出しようと、四十八池に行くことにしました。天候が怪しい時は、赤ちゃんとお母さんは池往復にして貰おうと思っていました。 朝の空には積雲が出ています。いつから降るかなぁーと言うのが一番の心配です。

   熊の湯の前山の下まで車二台で行き、リフトで前山の上まで稼ぎます。そこからは渋池を通ってほぼ平らな道、何度も通っているせいか説明も勘どころですませ、皆意気揚々と四十八池まで、ここの真ん中の休み台で、また手巻きずし。今度はシャレーからの差し入れの具もあり豪華です。温かい紅茶を川村が作ってくれます。周りの人が羨ましそう。

  

  幸いこの時は日が射してくれました。 この良い気分のあと、怪しい空を見ていると皆んな志賀山に登りたいと言います。雨は確実に来るだろうが今は晴れている雲行き。帰るべき天候ですが「騙されてみようか」と行くことにして雨具の点検。赤ちゃんとお母さんには直接前山に帰って貰うことにしました。親切なジャイアンが付いてくれることになりました。

   ヨシノちゃんは迷います。お母さんと帰るか、お父さんと行くか、ついに大決断をして行くことになり出発。大きな岩が道を作っている登りは、子供にとっては大変。しかしニャー坊が先頭を歩いてくれます。「ここを掴むといいよ」とかいろいろシンちゃんにアドバイスしてくれています。 頂上からは大沼池が良く見えました。ここで池の説明を忘れていました。 このころからパラパラ降り始めました、そして左に黒姫池を見る頃ザーザーと凄いのが来て、降りの道がいっぺんに川になってしまいました。

 

  「道間違っていないかなー、大丈夫かなー」「大森さんが後を来ているから大丈夫だよ」と言いあいながら、ニャー坊とシンちゃんが先頭を行きます、難しい下りでは、ニャー坊がシンちゃんに、ここに足をおいてと話しているのが聞こえます。よしのちゃんは降りられない段差の時にはお父さんに助けて貰っています。

   だいぶ下に来たころ、岩を抱いて下っていたニャー坊が、岩の割れ目を見て「ア、光ごけだ」。「随分余裕だなー」と川村と嬉しく話したものです。下の沢に下って前山への道に出ると、皆泥んこで、お互いを見て笑いあったのでした。

   前山のリフトを降りると、お母さんがお迎えで立っていました。そこへヨシノちゃんが飛びついて抱きつき、ワンワン泣き出してしまいました、よほど緊張して、それが解けたのでしょう。無理させすぎたかなと心配していましたが、次の日帰京されるご家族を見送った時、ヨシノちゃんはにこにこ、シンちゃんはここに残ると主張してお父さんを困らせていました。昨日の奮闘は良かったようでした。

   (この日のメンバー:田中家の五人、関三兄弟、中野優太、川村尚吾、大森)

 

  (その3)台風が来た御蔭でのお休みの次の日、車を利用して白根へ行くことにしました。友人だけがお客さんの日に、本白根に行ってみようと言うのです。車さえあれば白根は近い、好天なら横手と組み合わせるととても良いコースです。

  白根の駐車場に車をおいて、うまい具合にロープウエー駅までのシャトルバスに乗れて、大分楽をしました。これはタダだし良いです。

  さて登りは、シラビソやコメツガや、火山の影響の後に出来た樹林ですから説明が楽でした。そのうち右にコマクサの砂礫斜面が現れます。 人工臭い赤い花は、以前木曽駒で発見して感激した物と同じ、人が種を蒔くと、なぜピンクの花が赤くなるのか。この不思議を話し合い、火口壁の森林の逆垂直分布を見て。そのうち平らな砂礫地に一面に生えるコマクサ、どうしてこんなところに生えることが出来るのか。斜面で流されながら、懸命に生きているはずのコマクサと比べて困ったのでした。

   降りそうな雨が待ってくれている内にと昼食にしました、コマクサの花に囲まれた道の縁に座って、岩がテーブルの手巻きずしです。お茶の時は野立てと言います。これを何というのでしょうか。真に風流でうまい昼食でした。 ちょっと風が強くなりましたが帰りは火口を巻くように右に折れ、鏡池方面に行きます。

  鏡池は昔は構造土を近くで見ることが出来たのですが、ロープで近寄れません。昔の記憶では、岸の外まで構造土が広がっていて上を歩いたように思うのですが、岸の構造土は消えていました、水底にある亀甲形を見るだけです。 降りは森の中です、ユウタ君が、亜硫酸ガスのにおいがするぞ、急いで通ろうと皆にサインを出します。そんな真剣な歩きになりました。 中々良い下見になりました、ここは優良なお勧めコースです。帰りに熊の湯により露天風呂に入って。子どもたちは帰り皆んな寝ていました。

  (この日のメンバー:関三兄弟、中野優太、桝田邦道、川村尚吾、大森)

 

  (その4)昨年から行こうと約束していた所、小幡さんと言う気心の知れた友人しかいない絶好のチャンスです。20mのザイルと400mの紐を持って、おたの申す平(お助け下さいの意味)に入って見ようと言うのです。正にトムソーヤの気分です。クリスチャニアのおじいちゃんに車で信州大植物園まで送って貰いました。

  勾玉の丘まではいつも来た道です。溶岩流でもちあがった大岩の上に、太いクロベが立ちあがっている双子岩を過ぎて、今日はすぐ勾玉の丘に着きました。ここでいつもの昼食。

   ここから人跡未踏の地へ入ろうと、恰好を付けてザイルを垂らしました。ザイルの技術が無くても腕力でも降りられる程度の傾斜です。しかし下に降りると溶岩が複雑にデコボコに積み重ねられ、その間に苔が埋まっていたり、皆悪戦苦闘で次に見える大岩まで行きました。

  人跡未踏のつもりでしたが、樹が意外に小さく、古い苔蒸した切り株が有ったり、信州大学の調査跡が有ったり、もっと奥に本当の人跡未踏地がある感じです。 しかし子供たちばかりでなく、大人も未知の世界に入った満足を充分に満喫しました。紐の届く所まで行って、2つ目の大岩の上に登って終りにしました。紐が無ければ絶対に入れない、帰れない所です。

   帰りに感心したこと、来年来る時のために紐を残して行こうか、とタカちゃんに言いました。そうしたら「それは絶対にいけないですよー、普通のお客さんが入って迷うといけないから」と。「それは正しいねえらいね」と彼にしたがって紐は回収してあります。

   このおたの申すは面白いフィールドです、今度はもう少し奥で植生調査もやって、子供たちに学校で発表して貰いたいものです。

 

  (その5)最後の晩、小舎に残った全ての食材で料理をしました。焼き豚、ベーコン、ハムソーセージを全部混ぜて油とショウガでごちゃごちゃにいため。別にレタス、玉ねぎ、ピーマン、ネギ、トマト、その他、色々のサイズに切った野菜全部を一緒にいため、これを焼き豚の上に載せ、卵を落とし、レタスをかぶせ、お皿(これがまた偶然ながらフライパンの内側にぴったり嵌る)をかぶせてちょっと蒸し。さてそのまま一緒にエイヤーとひっくり返したら、ショートケーキのような食い物がそのお皿の上に乗っていました。

  山田多恵子さんがクリスマスのようだと。そのボリュームをいつの間にか平らげ、われらながら驚いたと言うことで、志賀の報告を終わります。

 

   (その6) 帰り上高地によりました。アルペンホテルでミニトーク。雷鳥張り子を使った氷河雷鳥募金の貯金箱を2つ貰ってきました。重くて壊れそう。 (帰って銀行のATMで12回で数えて貰った総額は51,057円でした。善意の重さを感じました)。 つぎの日温泉ホテルに行きました。加藤社長はなぜ素直にPV(パークボランティア)をやめたのかと怒りますが、私は丁度良いので活動が自由になるんだよと。今度は環境省に、山の自然学クラブと言うNPOにVC(ビジターセンター)を基地にした活動をさせてほしいと頼むけれど、もしそれが出来ないなら、ホテルで雷鳥作りと氷河雷鳥募金とインタープリターをさせてほしいと言って、快諾を得ています。

  帰りに島々の環境省に寄り、職員にVCの使用を申し入れていますが、インタープリターはプロに任せてPVは縮少と、VCはPV専用だとの方針を聞かされました。(あとで決まりにより一般には使わせないとの正式の文書が来ました) 所長に問い合わせ中ですが、その答えによったら、奥志賀のあとに、上高地で、プロに負けない「氷河雷鳥募金インタープリター」をやって見ようか、と思っています。どうですか一緒にチャレンジしませんか。 奥志賀や上高地においで下さい。

                                             終り